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キャディ

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キャディはルールで認められたパートナーである。距離やライン、クラブ選択などに助言をすることが出来るのがパートナーであり、単にクラブを運ぶだけの存在ではない。それだけではなく、初心者の人にとってはゴルフのルールやマナーの手助けをしてくる存在であるし、また、18ホールの旅を楽しいものにしてくれる道連れでもある。

バブル崩壊以降、ゴルフ需要の減退により価格への下落圧力が強まり、より低価格でゴルフが出来るセルフプレーが普及してきた。それはそれで大変結構なことではあるが、キャディなしでプレーするといことは、キャディがやるべき仕事をプレーヤー自身がやらなければならない、ということである。そもそもディボット跡を埋め、グリーン上のボールマークを直し、バンカーをレーキがけするのはプレーヤーの仕事である。

個人的にはキャディがいるなら必ずキャディをつけるようにしている。その方が単純にゴルフが楽しい。

数年前、一人でスコットランドに行ってきた。エジンバラの東にあるノース・ベリックというコースを日本からインターネットで事前に予約し、キャディを頼んでおいた。プレーしたのは日曜日であった。

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コースについてプロショップでチェックインし、スタートハウスでキャディを待つ。しばらくしておじさんがやってきた。ノース・ベリックは公営のゴルフコースであるが、そこをホームにするクラブが三つあるという。彼はそのうちの一つのクラブのメンバーだそうで、週末にはこうしてアルバイトでキャディをするそうだ。それはアルバイトというよりも観光客を案内するボランティアのようなものに近い感じだった。

その日、彼の子供たちはコースの脇にあるショートコースでゴルフをしているという。さらに小さい子供たちにはスタートハウスの向こうに大きなパターゴルフ場があって、そこで遊ぶそうだ。街全体がゴルフと共にある、そんな街だった。

結局一人でプレーしたのだが、キャディをしてくれたおじさんと二人で雑談しながら楽しく、気持よくゴルフができた。最終ホールは短いパー4で、ドライバーだとオーバーしてしまうが、グリーンの手前は溝になっていて、非常に面白いホールだった。右側の道路の向こうはすぐ街になっていて、車が止まっている。キャディのおじさんの車もそこに停めてあるという。ちょっとスライスすれば車か家に当たってしまう、そんな距離感。「あそこには打たないでくれよな」とおじさんが冗談をいった。

その日はそこそこ調子が良かった。けれど右は街だしワンオン出来る距離ということで力んでチョロってしまった。その日は日曜日で、クラブハウスの二階のパブに上がるとトム・ワトソンが全英オープンの優勝争いをしていた。

このエントリーを含むはてなブックマークはてなブックマーク - USGAからグリーン委員のためのガイドブック Yahoo!ブックマークに登録 このエントリをつぶやくこのWebページのtweets Share on Tumblr Googleブックマークに追加 Digg This

9月号のゴルフマネジメントにUAGAのグリーンセクションが発行している“A Guide for Green Committee Members”の(前半の)翻訳が掲載されています(後半は次号)。書店に並ぶような雑誌ではないので、日本語版を誰かが正式につくって配布していただけると嬉しいです。

これは殆ど関係ないですが、グリーン委員会の「グリーン」をパットをする場所としての「グリーン」と思われている人もいるかと思いますが、この場合には単にコースそのものを指しています。そういう意味で「コース委員会」と命名しているクラブが日本に多いのも頷けます。

グリーン委員会の役割にはコース管理の予算を決めること、予算に対して適切な管理が行われているかを監視すること、コースの長期的な管理目標を設定すること、メンバーのコース管理に対する疑問、質問に応えることなどが挙げられ、非常に広範囲にわたります。ただ、日本では実際には委員会ではなく運営会社がこの役割を代行しているケースが殆どだと思います。

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このエントリーを含むはてなブックマークはてなブックマーク - ゴルフマガジン 世界100選 2011 雑感 Yahoo!ブックマークに登録 このエントリをつぶやくこのWebページのtweets Share on Tumblr Googleブックマークに追加 Digg This

8月1日にアメリカのゴルフマガジン誌が2年に一回発表する世界ランキングが発表されたようです。

上位はあまり変わらずで、Coore & Crenshaw が改造したパインハーストが19位から15位にランクアップしたことが目につくぐらいでしょうか。ロスアンジェルスCCも52位から39位にかなりのランクアップを果たしていますね。ここは東京ゴルフ倶楽部の改造を行ったGil Hanse が改造して評価を高めています。韓国のナインブリッジズは毎回着実に順位を上げていて、今回は55位から49位に上がっています。新しいコースや最近改造したコースは、パネリストへの周知に時間がかかるので評価が大きく上がることがあるようです。

今回新たにリストに加わったのは、4コースあります。Tom Doakのオールドマクドナルド、Gil Hanseのキャッスルスチュアート、Davis Love IIIのディアマンテ、Coore & Crenshaw のロストファームです。これにより、前回ぎりぎりでランクインしていた日本の鳴尾が100選から姿を消しました。改造をして評価を高めた東京はわずかにランクアップして96位に留まっています。毎回、数コースが新たにランクインしてくるので、何もしなければランク外に外れてしまうのが90位台のコースの大変なところで、しのぎを削る世界でもあります。

今回のランキングではTom DoakとCoore & Crenshaw がともに1コースずつランクインさせているのでTom Doakが5コース、Coore & Crenshawが4コースランクインと、この両者の激しい戦いは続きます。とはいえ、この両者はとっても仲が良いそうで、お互いを高め合う良いライバルですね。現在隣り合うコースをそれぞれフロリダに造成中だそうで、完成が楽しみです。アメリカ・オレゴン州にあるバンドンリゾートオーストラリア・タスマニアにあるバーンブーグルリゾートでは両者の世界クラスのコースがいっぺんに楽しめるので、お得です。

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このエントリーを含むはてなブックマークはてなブックマーク - バンカーの砂質について Yahoo!ブックマークに登録 このエントリをつぶやくこのWebページのtweets Share on Tumblr Googleブックマークに追加 Digg This

バンカーの良し悪しは主観的なものなんだってことをよく覚えておこう。

—USGA Green Section

ゴルフの歴史を学び、またスコットランドのリンクスでプレーしてみてバンカーの砂質はどうあるべきかについて大いに考えさせられた。

USGAのグリーンセクションはバンカー砂についてのガイドラインを1983年に発表しているが、基本的には具体的な指定はしていない。

The USGA has never had specifications for bunker sands. The article “Selecting and Handling Sand,” Green Section Record , November/December 1983, provides general guidelines regarding the sand’s particle size, shape, composition, color, and other factors that will be helpful for the initial selection process.

Remember, a sand’s playability is subjective. It is a good idea to develop a test bunker so that several of the potential sands can be installed and sampled by the golfers. The test bunker should be used for several months before a final decision is made. This will help form a general consensus that will be useful in the ultimate selection of the sand. Keep in mind, bunker sand becomes firmer over time, as it becomes contaminated with soil and organic particles.

What are the USGA’s recommendations when selecting sand for bunkers?

ゴルフの原点がリンクスにあるものの、リンクスの全てを肯定することが正しい訳ではない、とする立場は尊重したいが、そこからあまりに遠く離れてしまうことにはためらいを感じる。

リンクスはスコットランドの方言で「砂丘」を意味するらしいが、実際、リンクスは砂地にあり、芝を剥がして掘ればどこでも砂が出てくる。そしてよく知られているように、リンクスのバンカーは動物が掘った穴などが広がってできたものが原型なので、砂の種類に選択の余地はなかったはずである。

ところが時代を経ていつの間にか真っ白な砂が好まれるようになり、また目玉になるようなバンカーは「悪い」バンカーであると看做されるようになってしまった。たしかに目玉になったり、悪いライからは技術の差が出にくいから、良いコースコンディションを技術の差がそのまま結果の差に出ることと定義すればそのようなバンカーは「悪いバンカー」と言えるかもしれない。

このような質的・美観的観点からバンカーに「適した」砂が選定されるようになってきたが、それにともないバンカーは没個性化してきた。リンクスのバンカーに思いを馳せると、当然のことながらバンカーの砂はその土地固有のものであるから、別のコースに行けば砂質も変わる。それが当たり前であるし、どれだけ目玉になろうと、どれだけプレーがしにくかろうと文句の言いようがない。砂のほうが先にそこにあったわけだし、結局のところ、バンカーはハザードだからである。バンカーはハザードである、という当たり前の事実を受け入れると、バンカーの砂も「地形を活かした設計」の一部に含まれるべきである、ということがわかってくる。どれだけ地形を活かした設計と言われても、日本ではめったにお目にかかることのできない真っ白な砂で彩られたバンカーを見ると、良くも悪くも別世界に来たような気分になるし、外国にある日本庭園を見て感じるような違和感を覚える。

京葉CCでも各地の砂を使ってきた経緯があるが、反省を込めて言うと、結局のところ地元の砂を使うことがゴルフの伝統という文脈においても、経済性・持続性という意味においても「正しい」ことであるように思う。

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このエントリーを含むはてなブックマークはてなブックマーク - ローレンス・サマーズ米元財務長官の論説 Yahoo!ブックマークに登録 このエントリをつぶやくこのWebページのtweets Share on Tumblr Googleブックマークに追加 Digg This

ローレンス・サマーズはハーバードの一流経済学者で、財務長官など政府の要職も歴任してきた人物。性格はかなりきついので有名だけど、この論説はいまの日本にとっても有用なものである。必読。

米雇用危機、経済は失われた10年の渦中に

このエントリーを含むはてなブックマークはてなブックマーク - コーライグリーンの価値を再考する Yahoo!ブックマークに登録 このエントリをつぶやくこのWebページのtweets Share on Tumblr Googleブックマークに追加 Digg This

コーライグリーンは絶滅の危機にある。ベントグリーンの需要が強く、コーライグリーンが避けられるからだ。しかし、地球の温暖化傾向や近年の酷暑に鑑みると、コーライグリーンの価値を再考してみる必要がありそうだ。

ベントグリーンが好まれる理由:プレーヤー編

これはゴルファーにとっては明らかであろう。ボールの転がりやスピードはコーライグリーンが逆立ちしてもかなわないし、「色」という見た目もベントが優れている。結局のところ、ゴルフは娯楽であり、「気持ちいい」と感じることが重要なのである。

ベントグリーンの弱点

ベントグリーンの弱点は主に管理面にある。ベント芝は「寒地型」と呼ばれる種類の芝草である。コーライは「暖地型」である。寒地型の芝は暑さに弱く、乾燥に弱いので、スプリンクラー設備が必須で、灌水はデリケートになる。結局これは管理費の負担や、夏場のダメージというリスクとなる。その点、コーライグリーンは夏場の管理が圧倒的に楽であり、年間でのコストも格段に低く済む。

ベントグリーンが好まれる理由:管理者編

管理コスト面でコーライが優れていても、実は管理者も多くはベントを好む傾向がある。暖地型の芝の成長のピークは夏しかないのに対し、寒地型は春と秋と二回ピークがあるので、ダメージからの回復が早いからだ。コーライグリーンを秋に痛めてしまうと、次の夏までの約一年間はそのダメージと付き合わないとならない。春にダメージを受けても夏に完全に回復しきらない場合もリスクである。このようなことから芝草管理者もベントグリーンを好むのである。

新世代のベント vs コーライ

ベントの弱点は夏の暑さに弱いことである。しかし、この点については品種改良によってかなり克服されてきているし、毎年次々と新品種が発表されている。他方で、研究者の中には温暖化を踏まえて暖地型の開発に力をいれている人もいる。最近発表されている暖地型の新品種はバミューダ系のものであるが、コーライを含むゾイシアの開発もされているようである。

このように、芝草の品種同士の競争も激しく、環境の変化に対応するための選択肢は広がっている。なかでもバミューダ系の新品種は弱点であった密度も劇的に改善しているそうで、常夏の地域ではグリーンのコンディションは今後かなり向上するのではないだろうか。しかし、日本の大部分の地域のように寒暖の差が大きいところでは、どちらか一方が完全に凌駕することはないため、ゴルファーの好み、管理費用との相談、ということになってくるであろう。

京葉CCでは、新品種のベント芝が管理コスト、リスク、プレーヤーの満足度などの点から総合的に考えて優れていると考えている。

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このエントリーを含むはてなブックマークはてなブックマーク - 風評被害を防ぐために 〜茨城県、栃木県の放射線量 Yahoo!ブックマークに登録 このエントリをつぶやくこのWebページのtweets Share on Tumblr Googleブックマークに追加 Digg This

東日本大震災が起きて以来、関東各地のゴルフ場の来場者が激減している(もちろん東北のゴルフ場は直接被災しており営業出来ていないところが多い)1。一つは自粛ムードが理由で、もうひとつは余震や放射線の被曝への恐れが原因と思われる。特に後者については、栃木県や茨城県など福島県に隣接するでは深刻であろう。

余震はともかく、放射線についてはどれくらい恐れる必要があるのだろうか。人工放射線(レントゲンなど)の1年間の被曝量の目安は1ミリシーベルトとされているが、これはかなり保守的な設定で、1回のCTスキャンでの被曝量は約7ミリシーベルトである。また、一度の被曝量として健康に害が出るとされるのは100ミリシーベルトからで、250ミリシーベルトから白血球の減少が認められる数値ということになっている。また、日本での1年間の平均自然被曝量は1.5ミリシーベルトであり、世界的に見るとこれは少ないほうだ。イタリア、中国、インド、ノルウェイ、ブラジルなど4ミリシーベルト/年を超す国も存在している。

4月18日現在の茨城県各地の放射線量をみると、多いところで毎時0.3マイクロシーベルト(=0.0003ミリシーベルト)で、この量を半減期を無視して1年間浴びたとすると、0.3\mu Sv \times 24 \times 365 = 2,628\mu Sv、つまり約2.6ミリシーベルト/年であり、一日数時間浴びても全く問題のないレベルの放射線量である。同様に栃木県各地の放射線量をみると、多いところで毎時0.2マイクロシーベルトであり、さらに低い。風向きなどによっては、放射性物質がまとまって到達する可能性もあるが、現在では原子炉施設の爆発などその原因となる要素がないので大きく変化することはなさそうである。

  1. 京葉CCでは3月の来場者数は対前年比約50%減で、特に震災後は90%近く減少した。 []

このエントリーを含むはてなブックマークはてなブックマーク - 日本で「スループレー」は何故採用されない? Yahoo!ブックマークに登録 このエントリをつぶやくこのWebページのtweets Share on Tumblr Googleブックマークに追加 Digg This

18ホールを長い休憩を挟まずにプレーすることを日本では「スループレー」と呼んでいて、「スループレー」することは日本では特殊なこととされる。この点についてゴルファーの希望を聞いてみると、殆どの人が「スループレー」の方が良い、という。多くのゴルファーが望んでいるのに日本ではそれが実現されない、もしくは廃れてしまったのは何故なのだろう?長期的な利益を最大化するという目的はゴルフクラブの形態を問わず同じはずで、ゴルファーの満足度を高める方法が採用されないのは不思議だ。今回はこのことについて考えてみたい。

2つの基本方式

ワンウェイ方式

「スループレー」には基本的に2つのやり方がある。まず全ての組を1番ホールからスタートさせるワンウェイ方式がある。この方式の場合、日が昇ってからスタートを開始し、18ホールのプレー時間分を日没時刻から引いた時間が最終スタートになる。例えば6時に日が出て、18時に日が沈み、プレーに4時間かかる場合は単純にいえば6時から14時までスタートできることになる。10分間隔でスタートするとすると、8時間あるので49組スタートできる計算だ。セントアンドリュースなど古いコースは10番ホールが遠いためワンウェイ方式を取らざるをえないことが多い。下にワンウェイ方式を図にした。

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オレンジで塗られた部分が、1番ホールからスタートする組の時間を表していて、右側はそれらの組が10番ホールに来る時間を示している。グレーの部分はスタートする組はないものの、フロントナイン(アウトコース)またはバックナイン(インコース)をプレーしている組があることを示していて、白地は誰もプレーしていないことを示している。これを見ると、白地の部分はそれぞれの9ホールで2時間ずつあることがわかる。この面積が大きいほど、ゴルフコースが有効に活用されていないことになる。

ツーウェイ方式

さて、もう一つの方法は1番ホールと10番ホールから同時にスタートするツーウェイ方式であるが、この場合には午前組と午後組にスタート時間が分かれることになる。図で示すと次のようになる。

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8時を午前組のトップスタートとして、10時が最終組になる。10時になると1番ホールには10番ホールから最初にスタートした組がやってくるので、10時から12時までは新たにスタートできる組はない。このため、午前組と午後組とに分かれるのである。この場合には白地の面積はそれぞれ2時間分で同じである。

変則ツーウェイ方式

最後に、現在関東地方で主流の休憩を挟んだ、変則ツーウェイ方式を図で示してみる。

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8時にスタートした組が10時に9ホールを終えて1時間休憩するとその間午前中のスタート時間を増やすことができる。しかし、全体では白地の面積が各4時間と倍になっていて無駄が生じていることがわかる。

日照時間の影響

ここまでは日照時間が12時間、18ホールのプレー時間が4時間という想定で考えてきたが、日照時間は季節や緯度によっても変わるし、現在のプレー時間を4時間と想定することは現実的はない。想定するプレー時間が4時間よりも長くなる、ということは日照時間が短くなるということと同じなので、日照時間の変化についてのみ考えることにする。(日照が8時から16時までと仮定する)

ワンウェイ方式では単純にスタート時間が短くなるだけで、ロス(白地の面積)は変わらない。

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ツーウェイ方式では4時間日照時間が短くなると午後組が完全に消滅してしまう。日照時間の減少が想定プレー時間よりも短ければ、その分だけ午後組の枠を確保することができる。

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これらに対して、途中休憩をとる変則ツーウェイ方式では、プレーヤーに休憩をとらせるという(プレーヤーにとっての)コストを代償として利用効率のロスを減少させることができる。

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ここまでのまとめ

日本の時刻の基準は兵庫県にあり、それより東に位置する関東地方では時刻に対しての日没が早いので、生活リズムを基準とした日照時間が短い。このため1年のかなりの期間が変則ツーウェイ方式がゴルフコースにとっては効率的であり、その効率化の結果として価格を(そうでない場合に比べて)低く抑えることができるため、供給サイドであるゴルフコースにとってもプレーヤーにとってもメリットのある方法であったといえる。

さらに、関東地方のゴルフコースへの交通事情や1日の有効利用という観点から遅い時間のスタートに対する需要の低さも要因の一つとしてあげられるだろう。どれだけスタートの「枠」があったとしても、そこでプレーするプレーヤーがいなければその枠はないも同じだからである。

これらの考察から、プレーできる時期の日照時間が非常に長いスコットランドでワンウェイ方式が多く(古いコースが多いので必然的にワンウェイにならざるをえない場合も多いが)、アメリカではツーウェイが普及し、日本では変則ツーウェイが普及したのには日照時間(プレー時間も含めて)とアクセスの違いが大きな影響を与えたのではないかと推察される。

それでも「スループレー」を普及するために

日本、とくに関東地方では合理性が乏しいゆえに普及しなかった「スループレー」であるが、それを「スループレーは世界の標準であるのに、それをさせないゴルフコースに問題がある」というのは単なる精神論に過ぎないので、ここでは合理的な解決方法を考えていきたい。

まず考えられる当然の方法は、日照時間の長い時期にはワンウェイ方式なりツーウェイ方式を採用し、日照時間の短い時期には変則ツーウェイ方式を採用することである。日照時間が長いほどワンウェイ方式が合理的になるが、日本はワンウェイ方式が合理的になるほど日照時間が長い日はあまりないので、ツーウェイ方式が現実的な回答である。

実際にツーウェイ方式を採用するに当たっての問題点は、これまで変則ツーウェイ方式で午前中にプレーを開始する方法に慣れたプレーヤーが多い中、午後のスループレーに需要があまりない可能性があることである。通常プレーヤーが「スループレーのほうが良い」という場合には午前組でのプレーを想定していて、午後のプレーが普及しないとスループレーが成立しないことまでは考えていない。

これを解決するひとつの方法は、人気の低い午後スタートの料金を引き下げてインセンティブを与えることである。料金そのものは午後組への需要の強さによって決まるが、ツーウェイ方式を採用するかどうかは変則ツーウェイとの比較によって決まる。午後組への需要があまりに弱くて設定料金が低くなりすぎればスループレーは維持できなくなるであろう。

このエントリーを含むはてなブックマークはてなブックマーク - ゴールデンエイジ、暗黒時代、ルネッサンス Yahoo!ブックマークに登録 このエントリをつぶやくこのWebページのtweets Share on Tumblr Googleブックマークに追加 Digg This

Golf Magazine誌の最新の世界ランキングのトップ10を見るとその中での一番新しいコースは1933年オープンのAugusta Nationalとなっている。またトップ100全体で見ると1930年代以前に作られたコースが75コースがランクしている。1940年代と1950年代に造られたコースでランクインしているものは一つもなく、1990年代以降に造られたコースが20コース入っている。大恐慌以降の1940年から第二次世界大戦を経て1990年以前までの約50年の間に造られたコースがたったの7つしかランクしていないいびつな状況がある。

大恐慌は1929年に勃発したが、それ以降もしばらくは新たなゴルフコースが造られた。ゴルフ設計の本当の終焉は1937年の2番底であったと言えるだろう。これは日本のバブル崩壊が実際に崩壊した1991年よりも山一証券や拓銀の破綻といった金融危機が起きた1997年が日本経済に決定的なダメージを与えたのと相似している。実のところ、35位にランクインしているBethpageはF. D. ルーズベルトのニューディール政策の一環として1935年に造成されたものだ。この傾向は世界的に見ても同様で、イギリスや日本でも1935年頃を最後にランクインするようなゴルフコースの造成は終結している。

第二次世界大戦後に活躍した設計家はロバート・トレント・ジョーンズである。そしてその後に続いたのはピート・ダイである。ダイは60年代から90年代までの非常に長い期間に渡って評価の高いコースを残して来た。90年代にトップに上り詰めたのはトム・ファジオである。彼の叔父のジョージ・ファジオはプロゴルファー出身の著名な設計家で、トム・ファジオは叔父との共同設計で行ったパインハーストNo.6がデビュー作である。90年代のアリゾナで砂漠の中にシャドー・クリークという別世界を創造したことで有名である。

しかし、ピート・ダイのいくつかの例外を除いて、これらの時代は設計の暗黒時代と言って良いだろう。トム・ファジオがアメリカ経済の好調を背景に華々しい活躍をする陰で、ビル・クーア&ベン・クレンショーのコンビやトム・ドークといったコース設計の「ルネッサンス」を唱えるグループが出現していた。彼らの特徴は、大地を「創造」するトム・ファジオやジャック・ニクラウスらとは大きく異なり、地形を生かし、環境を壊さず、費用をかけないことにある。また、その設計手法においてもゴールデンエイジのコースや設計家を研究し尽くしている点にも特徴がある。

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Barnbugle Dunes by Tom Doak

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Bandon Trail by Bill Coore & Ben Crenshaw

我々に利用可能な知識と技術は進歩しているのに戦後に設計されたコースが戦前のコースと比較して高い評価を得ないのは不当なのだろうか?これには様々な理由が考えられる。良いコースが生まれるにはいくつかの条件が必要で、それらの最上位には地形が挙げられる。ゴルフに適した地形、というのみならず既に造られたコースとは特徴の異なる地形でなければならないため、新しいコースはその点において常に不利である。テクノロジーの進歩によってかなり克服されてはいるものの、土壌も重要である。特に砂地での造成はコストもかからないし、芝草の育成に適しているため、設計上の多少の無理が利く。土地を離れたところでは設計を依頼するクライアントも重要な位置を占める。クライアントであるオーナーや委員会が不見識な意見を通そうとすれば良いコースが生まれる確率が格段に低くなるのは自明である。

「よい地形」とは例えば「フラットな地形」とか「適度にうねった地形」といった漠然としたものでは不十分で、「他にはない地形でゴルフに適している場所」という条件が必要になるし、土壌も関係してくるとなると、新しいコースはますます不利になる。都市から近い場所では経済の発展とともに環境問題もクローズアップされてくるし、地価も上昇する。また、クライアントも戦前と較べて進歩したかと言えば大いに疑問である。例えばパインバレーを造ったジョージ・クランプは自らがオーナーであり設計者であったし、オークモントのヘンリー・フォウンズも同様である。もちろんC. B. マクドナルドのNational Golf Links of Americaも設計者自らがオーナーであった。また重要なことに、当時の設計者達は互いに設計地を訪れて意見を交換しあったことも設計を向上させる要因となったであろう。多くの人の意見を取り入れることでワンパターンになることを防げるのである。

では、ルネッサンス時代の設計家達はどうであろうか。クーア&クレンショーやトム・ドークは年間に引き受ける仕事を制限していてせいぜい年間に4コースしか仕事をしない。設計料もジャック・ニクラウスらに較べれば安い。しかし彼らはこうすることによって地形とクライアントを選べるのである。彼らにとって重要なことは偉大なコースを設計することと同時に駄作を残さないことなのである。例えばトム・ドークは30番目のコースであるOld Macdonaldが世界100選に入るとすると30コース中5コースが世界のトップ100に入っている、ということになり、極めて打率が高いことがわかる1

果たしてゴルフのルネッサンスは2008年の金融危機で終わりを告げた、と歴史が証言することになるのであろうか。

  1. ちなみにジャック・ニクラウスと共同設計したSebonackも100選に惜しい位置にいる。これはアメリカ100選の順位からわかる。 []

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このエントリーを含むはてなブックマークはてなブックマーク - Scotland’s Gift Chapter 1 p.1-p.2 Yahoo!ブックマークに登録 このエントリをつぶやくこのWebページのtweets Share on Tumblr Googleブックマークに追加 Digg This

以下はCharles Blair Macdonaldの著書”Scotland’s Gift”の翻訳である。Macdonaldは「アメリカゴルフの父」と呼ばれている人物であるにも関わらず、日本ではあまり知られていないようである。彼がアメリカゴルフの父と呼ばれる理由は本書に明らかであるが、端的に言えばアメリカにゴルフを正しく伝えたためである。彼が設立したシカゴゴルフクラブはUSGAの創立5クラブの一つであり、彼はシカゴゴルフクラブのキャプテン(日本で言う理事長)であった。また、リンクスの名ホールをアメリカに再現するためthe National Golf Links of Americaを設計、設立した。それ以降のコース設計の規準となる決定的な仕事であった。なおMacdonaldは1939年になくなっており、著作権、ひいては翻訳権の保護期間(日本では50年)および戦時加算(約10年)を考慮しても著者の死後70年以上が経過しているため翻訳の公開が自由になっている。


スコットランドの与え給えしもの:如何にしてアメリカはゴルフを発見したか

by Charles Blair Macdonald

第1章 Introduction to St. Andrews


遠く、かつ正確に。

—Motto of John Patersone, The Cobbler-Partner of James VI

私がゴルフを最初に知ったのは1872年の8月はじめのことであった。16歳の時であった。私の父はスコットランド(Scotland)のセント・アンドリュース(St. Andrews)にいる祖父の元へ行き、そこ—the United Colleges of St. Salvador and St. Leonard’s—で大学教育を受けることを望んだのだった。我が家の古くからの友人であるカークウッド氏(Mr. Kirkwood)の庇護を受けるべく、私は7月にシカゴ(Chicago)を離れた。私は大西洋を渡った最後の外輪船、Cunard line社のScotiaで海を渡った。9日間の旅の後にクイーンズタウン(Queenstown)に到着した。コーク(Cork)からキラニーの湖(the Lakes of Killarney)まで馬車で移動した。そこで私は城に登ってブラーニー石(Blarney Stone)にキスしたことを告白せねばなるまい1。よって私がリンクスで幸運にも出会えた人々に捧げる大いなる賞賛をご理解いただけるであろう。ダブリン(Dublin)を訪れた後に我々はグラスゴー(Glasgow)を経由して列車でエジンバラ(Edinburgh)へ向かった。そこで心身ともに健康な状態で期日通りに祖父—バリーシアーのウィリアム・マクドナルド(William Macdonald, of Ballyshear)—の元へと到着したのだった。

カークウッド氏がエジンバラの東5マイルにあるマッセルバラ(Musselburgh)からやって来た。私はカークウッド氏とともにマッセルバラへ行くことが許され、彼の年老いた母と共に一晩を過ごすことになった。私がゴルフというものを初めて耳にしたのはまさにここであった。私は赤い外套を着たプレーヤー達やマッセルバラコモン(Musselburgh Common)—すぐに理解に至ったのだが私にとっては「コモン」すなわち「共有地」であったものが、彼らにとっては「リンクス」であった—をぶらつく彼らのくつろいだ様子に強く興味をそそられた。それは私には馬鹿らしくもくだらないtiddledy winks2の一種に思えた。かつてこれほど激しさも力強さもないスポーツを見たことがなかったからである。マッセルバラもまた非常に魅力のない場所に思えた。その晩、私はこの退屈な場所に幽閉されてしまうのだろうかと心配した。

我々は次の日、午後6時頃セント・アンドリュースに到着するようにと、午後3時にエジンバラのウェイヴァリー駅(Waverly Station)から出発した、。当時、その旅程は非常に骨の折れるものであった。我々はまずグラントン(Granton)へと列車に乗り、そこでフォース湾(Firth of Forth)を渡ってバーント島(Burnt Island)へ向かう蒸気船に乗った。その船の中で島に到着するまでの間ずっとバイオリンを弾いていた盲目の老人がいたことを覚えている。それから列車に乗ってLuchars分岐駅まで行き、そこでいとしきセント・アンドリュースまでの6マイルを走る列車へと乗り換えた。そのころの列車は駅は向かう途中、オールドコース(the Old Course)の3番、4番、15番、そして16番ホールの脇を通ったものである。そして、客車を共にしていた我が父の友人であり、1836年以来の好スコア95で1856年のシルバークロス(Silver Cross)に勝ったこともある著名なゴルフ家系の一員のトーマス・モンクリーフ卿がゴルフの魅力について長々と説明してくれたが、私には理解できなかった。まだ、時が満ちていなかったのだ。

非常に驚いたことに、セント・アンドリュースの町は瞬く間に私を魅了した。とても古風で由緒ある町なのだ。私のアメリカでの人生との比較においてとはいえ、今思い返してみても、至る所に印象深いものを認めることができる。南北戦争が終わった7年後に私はシカゴ—その9ヶ月ほど前の大火事でほとんど全てが破壊され、ゆっくりと復興し始めた人口30万人の都市—を離れたのだ。セント・アンドリュースとの対照は鮮烈なものであった。その歴史上、また古代においても類を見ない場所に位置している。セント・アンドリュースは南をフォース湾に、北をテイ湾(Firth of Tay)によって切り取られた、辺鄙で交通の便の悪い荒涼とした岬にある。ここでは誰もが過去に吸い寄せられているようであり、アメリカでは誰もが未来に引き寄せられているのと対照的である。この対照はヘンデルの「葬送行進曲」と「ジョージアを越えて」との対照を想起させる。私がセント・アンドリュースでの生活に慣れるまで時間はかからなかった。すぐにこののんびりとした愉快な生活と歩調を合わせたのだった。

  1. 訳注:アイルランドのブラーニー城の城壁頂上部にある石。これにキスをすると雄弁になれるという言い伝えで有名。また”kiss the Blarney Stone”で「お世辞を言う」という意。 []
  2. 訳注:コインを跳ね上げてカップに入れるゲーム。 []

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