Category Archives: Golf History

日本のゴルフの歴史を変える横浜CCの改造

今日は改造工事を行っている横浜カントリークラブを見学してきました。 横浜カントリークラブは現在活躍している設計家の中ではトム・ドークとナンバーワンを争うビル・クーア&ベン・クレンショウのコンビが改造設計を担当しています。 ハッキリ言って、これはヤバイです。日本のゴルフが変わります。 設計者が決まった時点で彼らの凄さを知っている僕はそう思っていましたが、実際の改造の状況を見て革新しました。日本のゴルフの歴史に残る大きな一歩になると思います。 かつて東京ゴルフ倶楽部が当時のナンバーワン設計家であったハリー・コルトに朝霞コースの設計を依頼して、代理としてチャールズ・アリソンが来日し、日本に本格的なゴルフコースをもたらしましたが、結局その設計を受け継ぐ人は現れませんでしたし、アリソン自身が超一流の設計家であったかというと疑問符がつくことは否めないと思います。しかしながら、今回のビル・クーア&ベン・クレンショウは紛れもない世界のトップ設計家です。こんなことは日本のゴルフの歴史では初めてのことなんです。もう一方の雄であるトム・ドークと京葉は契約しているだけにその「初めて」の地位を逃したことは非常に残念で悔しいです。しかし、はやくこのコースでプレーしてみたいと今からワクワクしています!

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“レダン”の由来

同業で僕よりも年上ですが年齢も近いということから、横浜カントリークラブの相山社長と仲良くさせていただいています。以前はそうでもなかったように記憶しているのですが、この相山さん最近、妙にマニアックです。僕としては同世代の同業の社長がゴルフオタクなのはとても嬉しいことなので、そういう仲間がもっと増えて欲しいものです。 さて、先日の話題は、このブログでも何度も触れている「レダン」でした。「レダン」というのはゴルフ界では非常に有名なホールで「世界で最もコピーされているホール」と言われているほどです。ゴルフ用語の中には日本人にとっては由来不明な言葉がたくさんありますが、レダンもその一つです。 ところが今回、相山さんがその由来を教えてくれたので、びっくりしました。「そんなゴルフの歴史や文化に興味のある人だったっけ?」というのが正直なところだったので。しかし相山さんも実は影でいろいろと情報を仕入れているようです(笑)。 相山さんによると、レダンの由来は19世紀半ばのクリミア戦争で、イギリス軍が攻めたロシア軍の要塞を「レダン」といったそうです。Wikipediaで調べてみると、この要塞は函館の五稜郭のように一部が外に突き出しているのが特徴だそうで、この闘いを指揮したJohn White-Melvilleという人がNorth Berwick(オリジナルのレダンのあるコースです)に戻ってきた時にそう名付けたそうです。 ちなみに「ゴルフ」の由来はオランダ語の「コルフ」だとか「Gentlemen Only, Ladies Forbiden」の略だとか、諸説ありますね(笑)。 参考URL: http://en.wikipedia.org/wiki/Redan

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ゴールデンエイジ、暗黒時代、ルネッサンス

Golf Magazine誌の最新の世界ランキングのトップ10を見るとその中での一番新しいコースは1933年オープンのAugusta Nationalとなっている。またトップ100全体で見ると1930年代以前に作られたコースが75コースがランクしている。1940年代と1950年代に造られたコースでランクインしているものは一つもなく、1990年代以降に造られたコースが20コース入っている。大恐慌以降の1940年から第二次世界大戦を経て1990年以前までの約50年の間に造られたコースがたったの7つしかランクしていないいびつな状況がある。 大恐慌は1929年に勃発したが、それ以降もしばらくは新たなゴルフコースが造られた。ゴルフ設計の本当の終焉は1937年の2番底であったと言えるだろう。これは日本のバブル崩壊が実際に崩壊した1991年よりも山一証券や拓銀の破綻といった金融危機が起きた1997年が日本経済に決定的なダメージを与えたのと相似している。実のところ、35位にランクインしているBethpageはF. D. ルーズベルトのニューディール政策の一環として1935年に造成されたものだ。この傾向は世界的に見ても同様で、イギリスや日本でも1935年頃を最後にランクインするようなゴルフコースの造成は終結している。 第二次世界大戦後に活躍した設計家はロバート・トレント・ジョーンズである。そしてその後に続いたのはピート・ダイである。ダイは60年代から90年代までの非常に長い期間に渡って評価の高いコースを残して来た。90年代にトップに上り詰めたのはトム・ファジオである。彼の叔父のジョージ・ファジオはプロゴルファー出身の著名な設計家で、トム・ファジオは叔父との共同設計で行ったパインハーストNo.6がデビュー作である。90年代のアリゾナで砂漠の中にシャドー・クリークという別世界を創造したことで有名である。 しかし、ピート・ダイのいくつかの例外を除いて、これらの時代は設計の暗黒時代と言って良いだろう。トム・ファジオがアメリカ経済の好調を背景に華々しい活躍をする陰で、ビル・クーア&ベン・クレンショーのコンビやトム・ドークといったコース設計の「ルネッサンス」を唱えるグループが出現していた。彼らの特徴は、大地を「創造」するトム・ファジオやジャック・ニクラウスらとは大きく異なり、地形を生かし、環境を壊さず、費用をかけないことにある。また、その設計手法においてもゴールデンエイジのコースや設計家を研究し尽くしている点にも特徴がある。 Barnbugle Dunes by Tom Doak Bandon Trail by Bill Coore & Ben Crenshaw 我々に利用可能な知識と技術は進歩しているのに戦後に設計されたコースが戦前のコースと比較して高い評価を得ないのは不当なのだろうか?これには様々な理由が考えられる。良いコースが生まれるにはいくつかの条件が必要で、それらの最上位には地形が挙げられる。ゴルフに適した地形、というのみならず既に造られたコースとは特徴の異なる地形でなければならないため、新しいコースはその点において常に不利である。テクノロジーの進歩によってかなり克服されてはいるものの、土壌も重要である。特に砂地での造成はコストもかからないし、芝草の育成に適しているため、設計上の多少の無理が利く。土地を離れたところでは設計を依頼するクライアントも重要な位置を占める。クライアントであるオーナーや委員会が不見識な意見を通そうとすれば良いコースが生まれる確率が格段に低くなるのは自明である。 「よい地形」とは例えば「フラットな地形」とか「適度にうねった地形」といった漠然としたものでは不十分で、「他にはない地形でゴルフに適している場所」という条件が必要になるし、土壌も関係してくるとなると、新しいコースはますます不利になる。都市から近い場所では経済の発展とともに環境問題もクローズアップされてくるし、地価も上昇する。また、クライアントも戦前と較べて進歩したかと言えば大いに疑問である。例えばパインバレーを造ったジョージ・クランプは自らがオーナーであり設計者であったし、オークモントのヘンリー・フォウンズも同様である。もちろんC. B. マクドナルドのNational Golf Links of Americaも設計者自らがオーナーであった。また重要なことに、当時の設計者達は互いに設計地を訪れて意見を交換しあったことも設計を向上させる要因となったであろう。多くの人の意見を取り入れることでワンパターンになることを防げるのである。 では、ルネッサンス時代の設計家達はどうであろうか。クーア&クレンショーやトム・ドークは年間に引き受ける仕事を制限していてせいぜい年間に4コースしか仕事をしない。設計料もジャック・ニクラウスらに較べれば安い。しかし彼らはこうすることによって地形とクライアントを選べるのである。彼らにとって重要なことは偉大なコースを設計することと同時に駄作を残さないことなのである。例えばトム・ドークは30番目のコースであるOld Macdonaldが世界100選に入るとすると30コース中5コースが世界のトップ100に入っている、ということになり、極めて打率が高いことがわかる ((ちなみにジャック・ニクラウスと共同設計したSebonackも100選に惜しい位置にいる。これはアメリカ100選の順位からわかる。))。 果たしてゴルフのルネッサンスは2008年の金融危機で終わりを告げた、と歴史が証言することになるのであろうか。

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Scotland’s Gift Chapter 1 p.1-p.2

以下はCharles Blair Macdonaldの著書”Scotland’s Gift”の翻訳である。Macdonaldは「アメリカゴルフの父」と呼ばれている人物であるにも関わらず、日本ではあまり知られていないようである。彼がアメリカゴルフの父と呼ばれる理由は本書に明らかであるが、端的に言えばアメリカにゴルフを正しく伝えたためである。彼が設立したシカゴゴルフクラブはUSGAの創立5クラブの一つであり、彼はシカゴゴルフクラブのキャプテン(日本で言う理事長)であった。また、リンクスの名ホールをアメリカに再現するためthe National Golf Links of Americaを設計、設立した。それ以降のコース設計の規準となる決定的な仕事であった。なおMacdonaldは1939年になくなっており、著作権、ひいては翻訳権の保護期間(日本では50年)および戦時加算(約10年)を考慮しても著者の死後70年以上が経過しているため翻訳の公開が自由になっている。 スコットランドの与え給えしもの:如何にしてアメリカはゴルフを発見したか by Charles Blair Macdonald 第1章 Introduction to St. Andrews 遠く、かつ正確に。 —Motto of John Patersone, The Cobbler-Partner of James VI 私がゴルフを最初に知ったのは1872年の8月はじめのことであった。16歳の時であった。私の父はスコットランド(Scotland)のセント・アンドリュース(St. Andrews)にいる祖父の元へ行き、そこ—the United Colleges of St. Salvador and St. Leonard’s—で大学教育を受けることを望んだのだった。我が家の古くからの友人であるカークウッド氏(Mr. Kirkwood)の庇護を受けるべく、私は7月にシカゴ(Chicago)を離れた。私は大西洋を渡った最後の外輪船、Cunard … Continue reading

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パインハーストNo.2の改造—Lost Artの復活—

2014年に全米オープンと全米女子オープンが2週続きでパインハーストNo.2で開催される。パインハーストはドナルド・ロスの代表作であり、コースの脇に居を構えて30年(1907年から1936年まで)に渡って完成度を高め続けたコースである。 ランキングでもトップ10の常連コースであったが、近年評価を落としている。その理由は外部からは分かりようもないが、その100年にも及ぶ長い歴史の中でパインハーストNo.2はロスの理念を失ってしまったのである。 ロス自身はNo.2について次のように語っている。 Pinehurst Number Two is the kind of course where every bunker could be removed and you’d never know it. Bearing in mind that golf should be a pleasure and not a penance, it has always been my … Continue reading

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Golf Is A Fine Game

これらの若者たちは、この小さなボールを小さな穴に誰よりも少ない回数で放り込むというゲームにあまりに深く嵌まってしまっていて、生きる上でもっと大切な知的なバランスを保とうとする態度が犯されてるだけでなく、事実上存在しない。[...] こんなことが起こっている。これらの有名なジュニアゴルファーのほとんどが、知性のある会話をすることができないでいる。しばらくするとゴルフの話に戻ってしまうのだ。たしかにゴルフは素晴らしいスポーツだ。そしていつまでもそのようなものであって欲しい。 — Donald Ross “Spoiled Golfers” Golf Has Never Failed Me ゴルフの魅力を語る時に、僕はよく「ゴルフは素晴らしいスポーツです」という。これではまるで魅力を語れていないわけだが、一言では語れないものであることも事実であろう。 むしろ、ゴルフというスポーツは魅力的すぎるのが問題ではないか、と思うことさえある。事件が起きた時にもゴルフを続けたとして問題になった総理大臣もいる。これが事実かどうか、また、妥当なことであるかはわからないが、さもありなん。 しかし、ゴルフはどこまでいっても「遊び」であり「娯楽」である。ゴルフは何よりも優先されるべきものではないし、実際ゴルフはあくまで余暇の過ごし方の一つに過ぎない。特にジュニアゴルファーにとって一番大切なことは学校での勉強であり、それが一生の宝になるのである。 ところが日本には反知性主義がはびこっていて、「学校での勉強など世の中で役に立たない」などといわれる。これは歪んだ形での学歴批判であろうが、役に立たないのは学校での勉強のせいではなく、それを役に立てることができない人の問題である。現代の技術のほとんどは科学的な基礎や洞察から得られたもので、我々の生活は永年にわたる人類の知的営みの上に成り立っているのである。 明治時代以降、日本がここまで発展できたのも、ひとえに江戸時代から続く日本人の教育への高い関心の伝統のためである、と思う。しかし、それが今、急速に失われている。今の日本ほど反知性主義が蔓延している国は、他で見たことがない。 アメリカでの例を挙げたい。アメリカでは成績をA、B、C、とつけるが、Aを4点、Bを3点、Cを2点、、、と数値化して平均したものをGPAと呼ぶ。小学校から大学に至るまで、このGPAがある基準を超えていない学生はクラブ活動が停止させられるのだ。だから、試合の移動中(アメリカは広大なので対抗試合の移動時間も長い)も、みなバスの中で宿題を一生懸命こなす姿が当たり前に見られる。 目標としてプロを目指すことは、本人のためにもゴルフのためにも素晴らしいことである。しかし、ゴルフ界がそのことに偏ってしまってはいけない。もっと「草ゴルフ」の普及に努めなければ、バランスの取れたゴルフの発展にはつながらないだろう。 学校から帰ってきてランドセルを放り投げ、友達と連れ立ってゴルフコースや練習場に行き、草野球をやる感覚で草ゴルフをやる。大人達が暖かいまなざしで見守り、また手を差し伸べ、マナーや技術を教えていく。こんな光景が当たり前に見られるようになったら、と思う。 余談だが、かつて作家の曾野綾子が「二次方程式を解かなくても生きてこられた」といった内容の発言をして、その後、教育課程から解の公式がなくなったことがあった。その因果関係は明確ではないが、このような論理は危険である。彼女は「二次方程式を解くのは人生に必要ではない」と言っているわけだが、それは事実であろう。しかし、これは「二次方程式を解く必要のない人もいる」というだけで、そこから「全ての人にとって二次方程式を解く必要性はない」という結論は導けない。 あと、二次方程式を解くことがどれくらい「無価値」であるか、あるいは「価値」があるか、ということでいうと、これはもう数学を使う分野であればどこでも必要なので価値は高い。 これまたさらに余談になるけど、二次方程式の解の公式を習った後に、三次方程式の解の公式は普通は習わない。ましてや四次方程式の解の公式なんて絶対にやらない。これらの公式は存在することはするけれど、あからさまに複素数を使うし、結構複雑なので二次方程式ほどわかりやすくない。 二次方程式の解の公式は2000年以上前から知られていて、バビロニアの石碑に記録が残っているらしい。しかし、三次方程式となると、ルネッサンスのイタリアまで待たなければならない。三次方程式、四次方程式についてはいろいろとドラマがあって、それ自体も面白いのだが、とにかく、ルネッサンスの時代に四次方程式までは決着がついた。 当然ルネッサンス期の彼らは五次方程式にも取り組んだのだが、上手くいかなかった。これが解決したのは1830年頃、ノルウェイの数学者アーベルによってであったが、それをさらに明確にしたのがフランスのガロアであった。その中でガロアが作り上げた「群論」と「ガロア理論」は今でも輝き続けている大業績(例えば群論は物理学の超弦理論に使われる)だが、驚くべきことにガロアはそれらを10代でやり遂げ、動乱に揺れるパリで決闘の末、二十歳の若さで死んでいる。 このように、ながらく五次方程式の解法が見つからなかったのだが、意外な形の結末となった。五次方程式には解の公式が存在しないのである。正確にいうと五次以上の代数方程式にはベキ根による解が一般には存在しないのである。特殊な例としてベキ根で解ける方程式もあるが、そのような条件(必要十分条件)を発見したのがガロアであった。そして、その理論(ガロア理論)は数学や物理の様々な分野へ応用され現在に至っている。 このように、学問というのはいつ、どこで、どう生きてくるのかわからないものである。こういったもの(どこでどう生きてくるかわからないもの)がまさに「知性」や「教養」であり、それを大事にすることが「知性主義」なのではないか。

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最もコピーされたホール —Redan

闘いを挑み続けるコースはプレーヤーをゴルフの虜にするであろう。 [...しかし]これらのような有名なホール—プレストウィックの「アルプス」やノースベリックの「レダン」など—を他の場所で模倣する誘惑に負けてはならない。特定な有名なホールに合わせてコースを造れば、必ずや落胆するこになるであろう。 —Donald Ross “Each Course Must Be Original” Golf Has Never Failed Me 僕はロスの傑作・パインハーストNo.2が大好きなので、ついロスの言葉を引用してしまうのだが、彼は良いコースの条件にオリジナリティを挙げる。実際、パインハーストNo.2は地球上の他のどこにもないユニークなコースである。 さて、そんな僕が最も敬愛する設計家であるロス大先生は「レダン」を他で模倣することなかれと言っている。それだけではなく、レダンの特徴である、グリーン全体が後方に下っていくようなホールは面白くない、とも主張している。 うしろに向かって傾斜しているグリーンはあまり面白いものではない。なぜならばプレーヤーにリスクを取らせる余地を奪ってしまうからである。同時に、そのようなグリーンは多かれ少なかれブラインドになりがちなのである。 —Donald Ross “Redan and Punchbowl Greens” Golf Has Never Failed Me レダンとはスコットランドのノースベリックの15番ホール・パー3のことであるが、ティーから見てグリーンが左45度に斜めに置かれ、右手前から左奥に向かって全体が下っている。そして左手前と右奥はバンカーでしっかりとガードされている。 レダンを表現するの良く見られる修辞句は「世界で最もコピーされたホール」である。ロスの警句をよそに、世界の名コースのそこかしこでコピーされている。 ノースベリック15番ホールのオリジナルレダン 写真ではわかりにくいが、正面に見える二つのバンカーの先から左に向かってグリーンが傾斜している。左側の窪んでいるあたりがグリーンの左手前をガードするバンカーである。グリーン面はまったく見えない。 シネコックヒルズ7番ホールのレダン こちらはニューヨークのロングアイランドにあるシネコックヒルズのレダンである。こちらの方がわかりやすいが、やはりグリーンの面は一切見えない。ニュージャージーにあるサマーセットヒルズの2番ホールにはA. W. ティリングハーストによるレダンがある。C. B. マクドナルドのナショナルゴルフリンクスの4番ホールもレダンである。パインバレーの有名な13番ホールのパー4もレダンである。 サマーセットヒルズの2番ホールのレダン パインバレーの13番ホールのレダン … Continue reading

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