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ゴールデンエイジ、暗黒時代、ルネッサンス

Golf Magazine誌の最新の世界ランキングのトップ10を見るとその中での一番新しいコースは1933年オープンのAugusta Nationalとなっている。またトップ100全体で見ると1930年代以前に作られたコースが75コースがランクしている。1940年代と1950年代に造られたコースでランクインしているものは一つもなく、1990年代以降に造られたコースが20コース入っている。大恐慌以降の1940年から第二次世界大戦を経て1990年以前までの約50年の間に造られたコースがたったの7つしかランクしていないいびつな状況がある。 大恐慌は1929年に勃発したが、それ以降もしばらくは新たなゴルフコースが造られた。ゴルフ設計の本当の終焉は1937年の2番底であったと言えるだろう。これは日本のバブル崩壊が実際に崩壊した1991年よりも山一証券や拓銀の破綻といった金融危機が起きた1997年が日本経済に決定的なダメージを与えたのと相似している。実のところ、35位にランクインしているBethpageはF. D. ルーズベルトのニューディール政策の一環として1935年に造成されたものだ。この傾向は世界的に見ても同様で、イギリスや日本でも1935年頃を最後にランクインするようなゴルフコースの造成は終結している。 第二次世界大戦後に活躍した設計家はロバート・トレント・ジョーンズである。そしてその後に続いたのはピート・ダイである。ダイは60年代から90年代までの非常に長い期間に渡って評価の高いコースを残して来た。90年代にトップに上り詰めたのはトム・ファジオである。彼の叔父のジョージ・ファジオはプロゴルファー出身の著名な設計家で、トム・ファジオは叔父との共同設計で行ったパインハーストNo.6がデビュー作である。90年代のアリゾナで砂漠の中にシャドー・クリークという別世界を創造したことで有名である。 しかし、ピート・ダイのいくつかの例外を除いて、これらの時代は設計の暗黒時代と言って良いだろう。トム・ファジオがアメリカ経済の好調を背景に華々しい活躍をする陰で、ビル・クーア&ベン・クレンショーのコンビやトム・ドークといったコース設計の「ルネッサンス」を唱えるグループが出現していた。彼らの特徴は、大地を「創造」するトム・ファジオやジャック・ニクラウスらとは大きく異なり、地形を生かし、環境を壊さず、費用をかけないことにある。また、その設計手法においてもゴールデンエイジのコースや設計家を研究し尽くしている点にも特徴がある。 Barnbugle Dunes by Tom Doak Bandon Trail by Bill Coore & Ben Crenshaw 我々に利用可能な知識と技術は進歩しているのに戦後に設計されたコースが戦前のコースと比較して高い評価を得ないのは不当なのだろうか?これには様々な理由が考えられる。良いコースが生まれるにはいくつかの条件が必要で、それらの最上位には地形が挙げられる。ゴルフに適した地形、というのみならず既に造られたコースとは特徴の異なる地形でなければならないため、新しいコースはその点において常に不利である。テクノロジーの進歩によってかなり克服されてはいるものの、土壌も重要である。特に砂地での造成はコストもかからないし、芝草の育成に適しているため、設計上の多少の無理が利く。土地を離れたところでは設計を依頼するクライアントも重要な位置を占める。クライアントであるオーナーや委員会が不見識な意見を通そうとすれば良いコースが生まれる確率が格段に低くなるのは自明である。 「よい地形」とは例えば「フラットな地形」とか「適度にうねった地形」といった漠然としたものでは不十分で、「他にはない地形でゴルフに適している場所」という条件が必要になるし、土壌も関係してくるとなると、新しいコースはますます不利になる。都市から近い場所では経済の発展とともに環境問題もクローズアップされてくるし、地価も上昇する。また、クライアントも戦前と較べて進歩したかと言えば大いに疑問である。例えばパインバレーを造ったジョージ・クランプは自らがオーナーであり設計者であったし、オークモントのヘンリー・フォウンズも同様である。もちろんC. B. マクドナルドのNational Golf Links of Americaも設計者自らがオーナーであった。また重要なことに、当時の設計者達は互いに設計地を訪れて意見を交換しあったことも設計を向上させる要因となったであろう。多くの人の意見を取り入れることでワンパターンになることを防げるのである。 では、ルネッサンス時代の設計家達はどうであろうか。クーア&クレンショーやトム・ドークは年間に引き受ける仕事を制限していてせいぜい年間に4コースしか仕事をしない。設計料もジャック・ニクラウスらに較べれば安い。しかし彼らはこうすることによって地形とクライアントを選べるのである。彼らにとって重要なことは偉大なコースを設計することと同時に駄作を残さないことなのである。例えばトム・ドークは30番目のコースであるOld Macdonaldが世界100選に入るとすると30コース中5コースが世界のトップ100に入っている、ということになり、極めて打率が高いことがわかる ((ちなみにジャック・ニクラウスと共同設計したSebonackも100選に惜しい位置にいる。これはアメリカ100選の順位からわかる。))。 果たしてゴルフのルネッサンスは2008年の金融危機で終わりを告げた、と歴史が証言することになるのであろうか。

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Scotland’s Gift Chapter 1 p.1-p.2

以下はCharles Blair Macdonaldの著書”Scotland’s Gift”の翻訳である。Macdonaldは「アメリカゴルフの父」と呼ばれている人物であるにも関わらず、日本ではあまり知られていないようである。彼がアメリカゴルフの父と呼ばれる理由は本書に明らかであるが、端的に言えばアメリカにゴルフを正しく伝えたためである。彼が設立したシカゴゴルフクラブはUSGAの創立5クラブの一つであり、彼はシカゴゴルフクラブのキャプテン(日本で言う理事長)であった。また、リンクスの名ホールをアメリカに再現するためthe National Golf Links of Americaを設計、設立した。それ以降のコース設計の規準となる決定的な仕事であった。なおMacdonaldは1939年になくなっており、著作権、ひいては翻訳権の保護期間(日本では50年)および戦時加算(約10年)を考慮しても著者の死後70年以上が経過しているため翻訳の公開が自由になっている。 スコットランドの与え給えしもの:如何にしてアメリカはゴルフを発見したか by Charles Blair Macdonald 第1章 Introduction to St. Andrews 遠く、かつ正確に。 —Motto of John Patersone, The Cobbler-Partner of James VI 私がゴルフを最初に知ったのは1872年の8月はじめのことであった。16歳の時であった。私の父はスコットランド(Scotland)のセント・アンドリュース(St. Andrews)にいる祖父の元へ行き、そこ—the United Colleges of St. Salvador and St. Leonard’s—で大学教育を受けることを望んだのだった。我が家の古くからの友人であるカークウッド氏(Mr. Kirkwood)の庇護を受けるべく、私は7月にシカゴ(Chicago)を離れた。私は大西洋を渡った最後の外輪船、Cunard … Continue reading

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